司書は夢の中で象の子になりました。おやおやと驚いて、大きな耳をぱたぱたと翼のように広げますと、涼しい風が灰色の肌に当たって気持ちが良いです。もっと耳をぱたぱたと羽ばたかせると、今にもお空を飛べそうな気がして楽しくなってきました。あんなにも暑かった夏盛りのぎらぎらとする太陽に向かって飛んで行ったら、さぞ気持ちがいいだろうと耳を動かしながらお散歩をしました。
ふと地面に目をやると、丸い足元に花々が咲いていました。小さなお眼々をこらしますと、どこかで見たことあるような花でした。ああそういえば、図書館の中庭で北原と一緒に眺めた花々に似ていると思い出します。
いつぞや室生が育てた草花が咲く庭に行こうと北原に誘われました。彼の腕を組んで中庭まで歩いた道のりはとても心地が良かったです。お仕事でせかせかと館内を動き回る司書に比べて、北原はゆったりとした足取りで、それは風を感じながら風が運んでくる子どもたちの遊ぶ声を楽しむほどでした。
彼の足音に合わせておっとりとした司書は、なんだが自分が象の子になったような気持ちになりました。その気持ちを先ほど寝る前に思い出して、つい居眠りしまったから今こうして象の子どもになった夢を見ているのだろうと納得しました。
夢の中にまで咲きこぼれる花々は象の子の眼で見ると、一つ一つ輝いているように見えて、色鮮やかな星々を眺めているような気分でした。北原と一緒に見たかったなあと悔しがり、彼に会いたくなりました。
――や、
おまんまだよう。
かすかにどこかからか声がしました。大きくなった耳でもその声が誰なのか分かりませんでした。聞いたことがあるような声だったので、その辺をきょろきょろと探しますが、歩いていく内にもっと遊びたいと思ってついには声を無視しました。それでも声は鳴り響きますので、困ったな、もっと遊びたいのに、と声から逃げるように走っていきます。
夢の中の太陽も実に暑く、走った分だけ汗がだらだらと垂れてきました。うう気持ちが悪いと苦しんでいますと、あの声と一緒に今度は涼しい風が流れ込んできました。その風はまるで象の鼻のように、象の子の肌を優しく撫でてくれます。気持ちが良いなあとその場に座り込んで風にあたっていますと、今度は風が象の子をくすぐるように撫でてきました。くすぐったい、くすぐったいなと笑い声を上げて楽しんでいますと、次は頭を撫でてくれました。本当に気持ちが良いので、自分は最初から象の子であったような感覚になりました。この風はきっと象の子のお母さんなのだろうと目を細めて気持ちよさそうにいますと、司書さんや起きるのだよと北原の声が聞こえました。
目を開けますと、彼女は司書室にあるソファの上に横になっていました。寝ぼけた顔を横に向けますと北原と目が合いました。つい居眠りをしてしまったと寝ぐせのついた髪を直しながら、はにかんで起き上がります。
「君、夕飯も食べずに寝てしまうのかと思って困ったよ。さあ、一緒に食堂に行こう」
司書の居眠りを気にせず、彼は彼女の身体に手を添えて優しく立ち上がらせてくれました。まるで彼が自分の母親みたいで安心するなと気をゆるんでいますと、「今日のことは内緒にしてあげる。後で果物一つ買ってくれたらね」と耳元に囁かれました。こんな時だけは、悪戯好きな少年みたいな笑顔をしますので抜け目ないです。
司書は困ったように乾いた声で笑いますと、彼の手元にあった団扇を見つけました。夏の夜の満月をくりぬいた様に白くて柔らかな和紙の団扇でした。北原はこれで君に風を送っていたのだよと得意げに言いますので、夢の中で涼しい風が吹いてきたのはこれかと納得しました。
夢の話を彼に話しますと耳を傾けて面白そうに聞いてくれました。実は、北原は司書が寝ている傍で自分の詩を詠っていました。彼女の寝ている姿がちょうど彼の詩作の一つによく似ていて、その詩が司書の姿となってこの世に現れたんだと彼は大変喜びました。
