秋声さん、どうか私を守ってください。
その呼び方に徳田は思わず眉をひそめます。こちらをからかいに来たのだろうと、嫌でも察してしまうのです。名前の後ろに「さん」と付けて、わざとらしく丁寧に名前を呼ぶくらいなら、頼らなくても良いのにと機嫌を損ねました。それでも、守ってほしいと幼稚に笑うその顔が愛らしかったので、徳田は彼女の前に立ちました。
「……はあ。良いかい、司書さん。そこから、絶対に動かないでよ――――」
都内では珍しく大雪が降った後の晴天の寒空の下、自然主義文学の皆で、童心に戻って雪合戦を始めました。水分を多く吸った雪を玉にして固めるのは容易でしたが、所々黒い土が付いていて汚らしかったです。それでも、岩野は空から舞い落ちた雪を珍しい玩具と見ているらしく、雪と土で灰色になろうがお構いなしに、作りたての雪玉を仲間に放り投げました。本当は田山に当てたかったのですが、容易に避けられてしまいました。向こうは危ないだろうと岩野を制止します。
この時は、まだ雪合戦を宣告する前だったので、皆雪を眺めてはその白さと冷たさに、新鮮さを覚えたり、懐かしさに浸ったりしていました。その中、岩野は不慣れな天気の寒さを体感して変に興奮してしまったのでしょう。彼は田山に当たるまで雪玉をどんどん放り投げました。田山が雪道を軽快に走っていく度に、雪玉が周りの仲間たちに当たっていきます。
「おっ、これは執筆の気晴らしになりそうだな。俺もまぜてくれよ!」
「えっ、ちょっと、僕にも当てないでくれよ! まったく、一体どこを狙っているんだ……」
「諦めろ。あいつがああなったら、倒れるまで終わりはしない」
徳田は渋々とため息を吐きました。彼の隣で、島崎に雪玉をかばってもらって喜ぶ北村の様子を察して、皆が皆遊び始めたなと勘づきました。
しばらくは楽し気に雪合戦をしていましたが、だんだんと雪国育ちの文豪が優勢になったのを頃合いに、岩野が怒り出しました。
「何で俺ばっか雪玉が当たるんだよ! そんで、田山には何で俺の雪玉が一個も当たらねえんだ!」
「もうちょっとは、自分の立場を俯瞰して見ろって。お前が雪に慣れてなくて下手くそなだけだろう!」
誰もが言いかけた言葉を、田山は思わず口に出してしまいました。今まで、論戦で言い返せなかった鬱憤をここで晴らせたのか、田山は誇らしげに雪玉を構えています。しかし、彼に対して人一倍負けなくない岩野は黙っていません。
「……だったら、ルール決めようぜ、ルールを! 上手い奴は一回でも当たったら負けだからな。へっ、そんなに雪玉をひょいひょいと避けられるっていうなら、できなくもねえだろ?」
岩野の挑発に、田山はすっかり乗ってしまいました。徳田は、二人の間に入って横暴な提案を阻止しようとしましたが、既に遅かったです。更に岩野から、徳田だけ一人で雪玉を投げて戦えと言われてしまいました。
「ええっ、何でそうなるんだよ……」
「だってお前、地味に強いんだよ。俺様だってさ……認めたくないんだけどよ、そんな地味なのに硬い雪玉を当てられたら痛くてしょうがねえ」
「な……! ……地味に強くて、悪かったね」
結局、徳田は孤独に雪玉を投げることになりました。田山は島崎たちと組んで、岩野に一泡吹かせようと一心不乱に雪玉を投げています。岩野の周りには、正宗や国木田が壁となって立っているので、なかなか当たりません。二人は岩野の泣き落としにやられて、仕方なく彼を守ることにしました。
「自ら神と言っておきながら、馬鹿らしく醜態を晒すとは……」
「はあー? 何言ってるんだ、神だから人間に守られて当然だろう!」
「あははっ! 神様よ、後でちゃんとお礼を返してくれよ。そうしたら、俺たちが守ってからさ」
まだまだ遊び足りない仲間たちを見て、徳田は疲れを覚えました。そろそろ休みたいなと思った矢先、背後から人の気配を感じました。
ここでようやく司書が現われました。彼女はいつからそこにいたのでしょうか。地面に屈んで、雪玉をせっせと作っています。その姿が何だかおにぎりを握っているように見えて、徳田はつい微笑んでしまいました。彼女の近くにあった雪玉は、どことなく人の顔のように見えました。
よく観察しようとしたら、徳田の頭に雪玉がぶつかってしまいました。岩野がよそ見をするなと怒っています。徳田は返事の代わりに雪玉を投げつけて彼を黙らせました。もう既に、雪合戦の勝敗は誰にも分からなくなってしまったようです。
「司書さん、こんなところにいたら危ないよ。今みんなで雪合戦をしているんだ」
どうりでにぎやかだと、司書は暢気に雪玉を捏ねていました。その雪玉を、綺麗に整った白い雪の玉の上に載せます。どこから取ってきたのか、何かの鳥の羽を上に乗った雪玉に差し込みます。雪玉に刻まれた顔には、切れ長の目があり長い前髪がかかっていました。
「これって白鳥かい……? へえ、随分と似ているね」
以前、坪内が作っていた雪だるまを真似て作ってみたと彼女が言います。他にも、今雪合戦をしている文豪たちの雪だるまを作ってみたと徳田に見せびらかせました。確かに、自然主義文学の文豪たちの特徴ある髪や顔をした雪だるまが、そこここに並んでいました。
