「君はまだ僕の日常を壊さないでくれる」

014 No.078 徳田秋声『常盤なる雪』

 雪だるまは、皆一様に白い雪の粉をきらきらと輝かせています。きっと、司書は土が付いていない雪を懸命に探したのでしょう。自然の白い煌めきから丹精込めて作られた司書の愛情を感じられます。しかし、一体だけ見覚えのない雪だるまに徳田は戸惑いました。他の雪だるまと比べて、特徴はなく、素朴で、しかも無愛想に見えます。目付きの悪そうな狐目が、嫌でも彼の目に入ってきます。手の代わりに付けられた枯れ葉の紅葉に目が離れられませんでした。
「……その、司書さん。もしかして、この雪だるまって……僕じゃないよね」
 徳田は自分の姿を模した物だと認めたくありませんが、どことなく共通した要素に惹かれてしまいます。顔を引きつって眉をしかめている彼の表情が、雪だるまの顔とそっくりでした。
 司書はそうだと、自信たっぷりにその雪だるまを持ち上げました。頬を寄せて実に愛らしいと言わんばかりに嬉しそうです。
「君から見た僕は、そんな愛想の悪い顔をしているんだ……」
 いつもの地味で格好良い徳田を想像しながら作ったと、彼女は誇らしげに胸を張ります。地味な要素を無愛想な顔つきで表現するのはどうかと、彼は頭を抱えました。また雪玉が、徳田の身体にぶつかりました。方角から察して岩野たちではありません。投げられた方向に振り向くと、田山が何故か恨み顔で雪玉を構えていました。
「秋声……こんな男たちとの戦いの時に、何を暢気に司書と話をしているんだよ!」
「もしかして、逢引……? ねえ、ちょっと詳しく話を聞かせてよ」
「まあ……。膚も凍る寒空の下、二人身を寄せ合う暖かな恋の歓楽……。ふふん。秋声君って、意外と大胆だね」
 徳田が皆に誤解を解こうとするも、一向に話を聞いてくれず雪玉をぽんぽんと投げられました。岩野もその光景を見て調子に乗ったようで、司書に当たったら徳田の負けだとまたも横暴な提案を追加されました。
「いや、何を言ってるんだ。全く、冗談じゃない……!」
 徳田は自然と司書の前に立ち、背を向けて腕を広げました。彼が腕を広げたと同時に雪玉がぶつかります。
 青みがかった茶色のチェスターコートには、粉雪がちらついていました。羊毛にからまった粉雪は、陽光に当たって星々のように煌めいています。首に巻かれた濃い露草色のマフラーに、彼の墨色の毛先が当たって揺れ動きます。決して絡まない毛先の動きに、真っ直ぐと凛とした輝きがありました。
 不意を突かれて、泥の混じった雪玉が顔に当たり、さすがに徳田も音を上げました。
「ああもう! ……良いかい、司書さん。ここから早く逃げるんだ。君が逃げてくれないと僕の身が持たない」
 ちょうど司書は雪だるまを作るのに夢中になっていたようで、田山たちの言葉を聞いていませんでした。彼女の創作意欲はまだ底をついていないらしく、未だ雪玉を捏ねては誰かの雪だるまを作ろうとしていました。
 徳田に逃げろと散々言われても、首を傾げています。冬空の寒気と積もった雪の冷気のせいか、司書の鼻先や耳周りが赤くしもやけていました。瞳は乾燥から守る為に、涙を溜めてるように潤んでいました。寒さが生み出した人間の体調の姿なのに、彼の加護欲を掻き立てるようななよなよしさとと幼さがありました。
「……司書さん、今僕はひとりで雪玉を投げなくちゃいけない状況なんだ。しかも君に当たったら、僕は敗北されてしまう。……それでも、君がまだここに居続けるっていうなら、邪魔にならないところで遊んでね」
 司書はようやく徳田の言葉を聞いて、周りの状況を把握しました。どうも彼女は研究に限らず、作業に集中してしまうと周囲の存在を忘れてしまうぐらいに、夢中になってしまうようです。徳田は、自身の教えに理解してくれた司書の姿がより一層可愛らしく見えました。
 しかし、彼女はすぐに能天気になりました。秋声さん、どうか私を守ってください。そう言って司書は、徳田を模した雪だるまを再び抱えました。
「君っていう人は……。何で、こんな時にそんなことを言ってくれるんだ」
 もしも雪玉が当たってしまったら、この雪だるまたちが崩れてしまう――だから、みんなのことも守ってほしいと言いました。
「今、その雪だるまにそっくりな人たちと戦っているというのに……」
 この徳田に似た雪だるまを自然に溶けるまで大事にしたいと、司書は胸の内に抱きしめました。まるで、二人の間で産まれた子どものように見えて、徳田は憎たらしく思えました。
「ほら、秋声君。司書さんを守ってあげなよ」
 北村が弱々しく雪玉を放り投げました。徳田には届いませんでしたが、それを皮切りに、再び仲間たちが司書に向かって雪玉を投げつけてきました。とは言いつつも、司書を狙っているのは岩野だけです。他は彼女に当てたら後味が悪いようで、ひたすら徳田に向って投げていました。正宗はとっくに雪遊びを止めて、皆が遊び疲れるまで、遠い所から眺めていました。
「はあ……。こういう状況なんて、今まで体験したとないし、聞いたこともないよ。……君は、男が女の為に雪合戦で身を張る展開を知っているかい」
 今目の前で起こっている、そう茶目っ気に司書は微笑みました。
「やっぱり、君といると僕の周りが非日常になってしまうよ」
 だからこそ、私を守ってほしいと彼女は言いました。
「……やれやれ、分かったよ。ちゃんと君を守るから、僕より前に出てきたら駄目だよ。良いね?」

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