徳田は司書と向き合ったまま、軽く腕を広げました。彼の背中に雪玉がどんどんとぶつかってきます。途中、彼の後頭部に強い衝撃が走りました。どうやら、岩野がつい本気で雪玉を投げてしまったようです。すぐに正宗に怒られたので、その後は怪我を与えない程度に優しく投げるようにしました。気が付けば司書を狙う者はいなく、徳田の背中に粉雪をかけるような感覚で、軽めの雪玉を投げる者が増えてきました。皆もこの状況を面白おかしく楽しんでいるようです。
司書も徳田に守られて楽しいようです。雪だるまを我が子のように大事に抱えていました。今この瞬間、彼女は徳田に守られると疑わずに信じています。徳田自身もそう確信していました。
やはり男に守られている女は、絶対に裏切らない――裏切らないように生きているのです。男を放って逃げ出せば、暖かな場所へ行けるはずなのに、彼女はそうしませんでした。男に守られるという安心を求めた本能は、現代でも受け継がれてしまっているのだなと徳田は悲しくなりました。けれども、笑みを浮かばずにはいられませんでした。
それにしても、面と向かい合いながら、相手を守るのは不思議なものです。相対するはずのない庇護と加護の存在が、顔を見合わせて笑い合っています。見慣れない光景に可笑しくて笑っていたはずなのに、見て見たかった光景が想像を超えて遥かに愛らしかったのです。この光景が、今の時代に信じられている物語なのだなと忠実に生きてみたくなりました。なっただけで、どうにも彼の天邪鬼は許してくれませんでした。
「……常盤なる松の緑に雪ふれバ見どころもある今日の庭かな――」
徳田は聞き返した司書の言葉を背に向けます。いつの間にか作っておいた雪玉を勢いよく岩野に、そして間髪入れず田山にも投げました。まるで見えない銃弾に当たったように、二人はそのまま後ろに倒れました。お見事と言った国木田の褒め上手な拍手につられ、周りも手を叩いて喜びました。
「……ねえ、司書さん。いつの時代になっても、僕らを裏切らないでね」
彼女は先ほどから徳田の言葉を全く理解できませんでした。ただ、彼からのお願いに思わず頷いてしまいました。訳も分からずに、徳田に裏切らない約束を交わしてしまいました。
いつかこの約束の意味を理解したら、司書は彼に守ってほしいと言わなくなるでしょう。だからいつまでも分からないでほしいと、徳田は背中越しで彼女に自身の腕を掴むよう促します。やはり司書は何も考えずに彼の腕を取りました。考えはしなかったものの、その腕を取ってほしいという彼の甘えを感じ取りました。彼は司書に腕を掴まれたまま、仲間たちと一緒に部屋の中へと戻りました。
皆がそれぞれ衣服に付いた雪を払っている中、徳田は先程入ってきた扉の窓の向こうを覗きました。中庭に置いたままの雪だるまたちは、平穏無事に寒空の晴天をその身一杯に受けていました。司書から守ってくれてありがとうとお礼を言われます。彼女は、徳田の頭を撫でて粉雪を払い落としてくれました。
徳田は、腕に寄りかかる彼女の身体の温もりを感じました。熱が籠れば籠るほど、彼女の生命の重さまでも皮膚を熱くし神経を昂らせました。この庇護欲の熱に、徳田はどうしてもまいってしまいます。
「別に、礼を言われるような大したことではないよ。……君はまだ僕の日常を壊さないでくれるから、やれるだけやったことさ」
中庭に置いてかれた雪だるまたちが立春を過ぎて、春の陽気に温められて地に溶けていった頃になっても、あの約束は破られないでしょう。いいや、破られないでほしい――いつまでも司書を守っていきたい――この身がどうなろうとも、彼女の今後の行く先がどうなろうとも――女を守るのが男の性を持った者の宿命である――彼はどんな時代であろうが、自身が生まれた時代に忠実に生きたいのです。
春は、全ての生き物が実を結び成就すると約束された季節ではありません。ただ夏に向けて過ぎる季節なのです。
掲載日:2024年03月03日
引用:『徳田秋聲俳句集』徳田秋聲著 大木志門編 龜鳴屋 2023年
文字数:5920字
